そう大きくはない店の白い壁の窓越し
久しぶりに見たそれに、思わず懐かしさが込み上げて。
ふらりと足を向ければ
入り口の扉に提げられた貝のモビールが軽やかな音を立てた。
静かな店内の棚にそっと
並べられているのは、大小様々な硝子瓶の中の船たち。
ところどころ窓から差し込む光にきらめいて
ゆらゆらと揺れる。
ボトルシップ
少年だったあの頃と全く同じに胸躍らせて感動できるほど
残念ながら今の僕は、素直でも純粋でも無いけれど
閉じ込められた小さな海と、そこに浮かぶ船の帆が
風を受けてはためく音が聞こえた気がして
棚の前で足を止めて、ほんの少し目を閉じた。
仕事で出掛けた海沿いの街。
思いのほか時間が余って、暫くのオフタイム。
快適と言うには高すぎる気温だったけれど
なんとなく歩きたい気分だったから、
そんな気まぐれに任せて街をうろついているうちに
賑やかだった蝉の声は種類を変えた。
穏やかな夏の日の午後は
短くはないはずなのに駆け足で過ぎて行く。
夕暮れ時の蜩の声に
どことなく寂しさを感じるようになったのは何時の頃からだろう。
友達と外を走り回っていた頃は
家に帰る時間の近付いたのを知らせる憎たらしい声に思えたものだけれど。
つい、と手を伸ばして上段の小さな硝子瓶をそっと手に取る。
少年時代から随分と遠く離れて
あの頃届かなかった高いところにも手が届く。
でも
もしかしたら、少年の僕が簡単に手にしていたものたちからは
今はずっと遠く離れてしまっているのかも知れない。
小さな荷物を手に店を出て
少しだけ顔を上げてみる。
夕暮れ始めの空が眩しい。
紙袋がかさりと音を立てて、まだ蜩は鳴いている。
過ぎる風にあの頃の田舎の空が蘇る。
何度も登っては怒られた神社の境内の木のうろに
そう言えば宝物を隠したのだっけ。
もうそれが何だったのかなんて思い出せもしないけれど。
膝に擦り傷をよく作っていた少年の自分の影が走り去る。
「あっ」
不意に聞こえた小さな声に現実に引き戻された。
通りの向こう側、母親に手を引かれた子供が
泣き出しそうな顔で街路樹を見上げている。
その視線の先にはオレンジ色の風船が不安定に梢に引っかかっていた。
然程高い位置では無い。
「だから離しちゃだめって言ったじゃない」
そんな声を聞きながら早足で通りを横切ったのは何故だろう。
「・・・っと」
少し手を伸ばせば、思った通り細い糸は僕の指に届いた。
「はい、どうぞ」
指先で絡んでいた糸を外し、屈んで小さな手にそれを戻す。
「ありがとう!」
「いいえ、どういたしまして」
・・・世界はきっとまだあの頃と同じくらい広く、
きらきらと眩しいのかもしれない。
硝子の中の海をすべる船に
僕はまだ夢を見ることが出来るだろうか。